幕末散策コース

長崎海軍伝習所へ派遣された勝海舟。

彼を師と仰ぎ、同行した坂本龍馬。

求心力のある二人が長崎にやってきたことは、

その後の日本が動いていく

きっかけになったといえるでしょう。

彼らゆかりの地が数多くある界隈を散策して、

その思いを巡らせましょう。

長崎駅前商店街〜徒歩5分

本連寺

本蓮寺

Honrenji

勝海舟寓居の地

幕末の幕臣・勝海舟は、長崎海軍伝習所で

航海術などを学んだ時期(1855~1859)、

塔頭・大乗院に4年ほど滞在しました。

本連寺公式HPリンク

本蓮寺〜徒歩5分

福済寺

福済寺

Fukusaiji

元治元年(1864)、外国艦隊による

下関攻撃に備えるため、幕府は勝海舟を派遣。

この時、目付・能勢全之助や坂本龍馬らが

同行しました。龍馬が長崎の地を踏んだのは

この時が初めてで、その逗留先が福済寺です。

福済寺〜徒歩5分

聖福寺

聖福寺

Syofukuji

慶応3年(1867)には、坂本龍馬率いる

海援隊が伊予大州藩から借り上げた船・

いろは丸と紀州藩船・明光丸とが衝突した

「いろは丸事件」の談合があり、土佐藩参政・後藤象二郎と紀州藩勘定奉行・茂田一次郎とのトップ会談の舞台となりました。

聖福寺〜徒歩7分

長崎歴史文化博物館

長崎歴史文化博物館

Nagasakirekisibunkahakubutsukan

この地には江戸時代、長崎奉行所立山役所が

ありました。元治元年(1864)、勝海舟に随行

してきた坂本龍馬も同役所にも入りました。

また、慶応3年(1867)のイギリス軍艦

イカルス号の水兵2名が丸山で殺害された

「イカルス号事件」では、同役所での

取り調べに佐々木高行や龍馬が出頭し、

最終的には海援隊士への疑惑を晴らしました。