幕末散策コース
長崎海軍伝習所へ派遣された勝海舟。
彼を師と仰ぎ、同行した坂本龍馬。
求心力のある二人が長崎にやってきたことは、
その後の日本が動いていく
きっかけになったといえるでしょう。
彼らゆかりの地が数多くある界隈を散策して、
その思いを巡らせましょう。
長崎駅前商店街〜徒歩5分
本連寺
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本蓮寺〜徒歩5分
福済寺
福済寺
Fukusaiji
元治元年(1864)、外国艦隊による
下関攻撃に備えるため、幕府は勝海舟を派遣。
この時、目付・能勢全之助や坂本龍馬らが
同行しました。龍馬が長崎の地を踏んだのは
この時が初めてで、その逗留先が福済寺です。
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福済寺〜徒歩5分
聖福寺
聖福寺
Syofukuji
慶応3年(1867)には、坂本龍馬率いる
海援隊が伊予大州藩から借り上げた船・
いろは丸と紀州藩船・明光丸とが衝突した
「いろは丸事件」の談合があり、土佐藩参政・後藤象二郎と紀州藩勘定奉行・茂田一次郎とのトップ会談の舞台となりました。
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聖福寺〜徒歩7分
長崎歴史文化博物館
長崎歴史文化博物館
Nagasakirekisibunkahakubutsukan
この地には江戸時代、長崎奉行所立山役所が
ありました。元治元年(1864)、勝海舟に随行
してきた坂本龍馬も同役所にも入りました。
また、慶応3年(1867)のイギリス軍艦
イカルス号の水兵2名が丸山で殺害された
「イカルス号事件」では、同役所での
取り調べに佐々木高行や龍馬が出頭し、
最終的には海援隊士への疑惑を晴らしました。