キリシタン散策コース
大正8年、キリシタン大名・大村純忠は、
イエスズ会に長崎と茂木の町を寄進。
当時、長崎はローマだったのです。
殉教の地である西坂の丘から、
キリシタンにまつわる物語が数多く残る
小径をそそろ歩きます。
日本二十六聖人記念館
戦国時代、長崎にはたくさんのキリシタンが
住んでいました。
しかし大正15年(1587)豊臣秀吉は
長崎がイエズス会に寄進されていることに怒りバテレン追放令を出しました。
さらにその10年後には京都や大阪など
信者や宣教師を捕らえ、みせしめのために
長崎に送って処刑することにしました。
処刑された場所が西坂の丘。
彼らは後のローマ法王から
聖人に列せられました。
記念碑は26人が
昇天する様子を描いています。
その安らかな表情からは
処刑されたことを恨むのではなく
自ら殉教の道を選んだ
神への思いの深さが感じ取れます。
↓
中町教会
江戸時代の初めに殉教し1987年(昭和62)に聖人に列せられた聖トマス西と15人の殉教者に捧げられた白く美しい教会。
敷地には彼らの記念碑があります。
教会の中にはある10枚の美しいステンドグラスとフランシスコザビエルゆかりの
「ほほえみの十字架」も必見。
↓
西勝寺
遠藤周作の沈黙をご存知ですか。
弾圧でキリシタンが仏教に宗旨を変えることを「ころぶ」といいます。
このお寺にはころんで宗門目明し
沢野忠庵になった宣教師フェレイラゆかりの「キリシタンころび証分」(非公開)
が残されています。
↓
サント・ドミンゴ教会跡
ドミニコ会のモラレス神父が1609年に
薩摩を追われた際にこの地に移設された
教会堂で、1614年に禁教令により
破壊されました。
2000年の小学校建設に伴う発掘調査で
発見され、2004年からは資料館として、
教会資料やキリシタン関係の出土遺物など
展示されています。
(サント・ドミンゴ教会跡資料館提供)